インタビュー/浅野撚糸(株)浅野社長「オンリーワン技術とブランド化が鍵」

浅野撚糸㈱が開発した魔法の撚糸「スーパーZERO」と、それを使用した吸水タオル『エアーかおる』の大ヒットは斜陽産業であった繊維業界の伝説だ。「戦後の復興を支えた繊維業界の人たちが、幾多の危機や価格破壊を乗り越えて生き残っているということそのものが、奇跡のようなものなんです」。浅野雅己社長を特集したTV番組でそう評価された。

浅野撚糸㈱は、浅野社長の父・博が整縄所を開業したことに始まる。事業は成功を収めたが、時代とともに陰りが出始め、やがて撚糸加工業へと変化していった。浅野社長が入社したのは1987年、27歳の頃。現場作業と営業を経て、1995年に社長就任。その頃、すでに繊維産業は斜陽産業の代表格だったという。しかし、当時トレンドだったストレッチ糸の開発に傾注したことが奏功し大ヒット。1996年には世界最大のストレッチ撚糸会社となり、1999年には日本屈指の撚糸会社の地位を得た。会社の評価は鰻登りだった。

「35歳の頃は、天下を獲った気分で有頂天でした」と浅野社長は回想する。しかし、この世の春は長くは続かなかった。

取引先からの増産要望に応え、下請け会社を巻込み次々と新しい工場を創ったが、技術者の海外流出に伴い撚糸ストレッチの価格は下落、生産も根こそぎ香港や中国に持っていかれ、程なくして発注はなくなった。度重なるリストラや、下請け会社との契約解除の連続で、浅野撚糸グループの信用は地に落ちた。

 

2023年12月号(11/15発行)掲載

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