インタビュー/山甚 鹿児島智之社長「経営難を引き継ぎ、見事に利益体質に」

京都市南区にある山甚は、山田甚吉氏がカレンダー製造業として昭和33年に個人創業した。カレンダーの企画・製造以外にも卸業を強みとし、扱うカレンダー商品も幅広い。

法人化は、平成15年5月のこと。初代社長に下茶邦男氏が就任するが、わずか3か月後に他界。後任として同社の社員で下茶氏の親戚筋にあたる鹿児島智之氏に白羽の矢が立った。以後、鹿児島新社長は既に厳しい状況下にあった同社の立て直しに奔走。10数年で業績を回復させた。

鹿児島社長に当時の経緯と今日までの歩みを取材した。インタビューのなかで何度となく耳にしたのは「感謝」という言葉である。

周囲のサポートが原動力に

就任時はどういう経営状態たったのですか。
絶不調からのスタートでしたが、支援企業もあって一からのスタートと覚悟を決めました。お世話になってきた方々に、いかに迷惑をかけないで乗り切るか。弊社が倒れてしまえば共倒れしてしまう企業もありました。しかし、一方では励ましの言葉も多く頂き、とにかく頑張ってみようと決断しました。

続きは2020年4月号(3/15発行)掲載

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